入社前の経験

ブラック企業からキーエンスへ:試練と挑戦のキャリアストーリー

以下に、私がキーエンスに入社した経緯を、身バレを避けられる程度にボカして紹介します(親しい人にはバレそうですが)。キーエンスに入社できた理由も実際に当時の人事や面接担当だった技術者から聞いたものです。

「このキャリアを進めばキーエンスに入れる」ことを保証するものではありませんが、参考になれば幸いです。背景事情も参考になるかと思い、社会人になるまでの半生も記載しています。

ただし、当時(20年前)とは採用基準が変わっている可能性があることに注意してください。

家電に魅了された少年時代

私の物語は、子供の頃から家電を分解することに夢中だった時代から始まります。他の子供が外で遊ぶ中、私は家にある古いラジオや時計をバラバラにしては中身を観察し、その仕組みを理解しようとしていました。もちろん全然できないのですが、負けず嫌いな性格はこのころからだったようで、「子どもが理解できるレベルの科学」の知識はあったと思います。

家族からはよく「また壊して!」と怒られましたが、それでも好奇心を抑えることはできませんでした。理系の道に進み、最終的に技術者を志したのも、こういった原点があったからだと思います。

勉強は苦手、本が友達だった小中学生時代

小中学校では正直にいうとスポーツも勉強も苦手な、ただのいじめられっ子でした。

数学(算数)や理科もこの当時は大の苦手。友達もいなかったので、一人で本を読むことに没頭しました。よく読んだのは歴史や雑学です。宇宙には漠然とした憧れがあり、宇宙飛行士を夢見たりもしました。

中学2年のときに新興住宅地に引っ越したのを期に全てリセットすることができたため、初めて友人と呼べる人たちに出会いました。そしてこの友人たちが優秀だったため、負けず嫌いの性格が発動して少しずつ勉強もするようになりました。

高校時代の猛勉強と大学進学

中学での内申が散々でしたが、なぜか奇跡的に平均的なレベルの高校に進学できました。

このときにできた友人とは非常に親しくなったのですが、その友人が成績優秀な子に恋をすることで運命が動き始めます。半年ほどで友人は振られてしまうのですが、「あいつを見返す」と宣言して猛勉強を始めたのです。

そして私は全く関係ないのに勝手に負けず嫌いが発動し、友人との成績争いに明け暮れました。ただ文系教科には興味がわかず、理系特化人間にはなりましたが。

このおかげで高校2年から飛躍的に成績が伸び、理系教科だけでいえば全国屈指の成績でした。(その代わり、文系教科は偏差値40くらいでしたが)

幼少期からここまでにかけて、一番大事だなと思うのは「やりぬく」こと、「興味をもつ」ことだと学びました。これらが後に大きく響いてきます。

就職活動をしなかった大学時代

そうしてそこそこ有名な大学に進みましたが、大学は入るまでがゴールと勝手に思っていた私は、そこから遊びまくります。それが祟り、なんと1回留年しています。「就職に響く」と怯えていましたが、結果的には杞憂でした。というより、もっと深刻な問題が発生するのですが…

最終年次に進む際、当時東京大学に属していた宇宙科学研究所とパイプを持つ研究室があることを知り、宇宙科学研究所で卒業研究に勤しみました。

これで最終年次だけ「宇宙科学研究所で人工衛星のセンサーを研究してた」と言えるようになりました。嘘じゃないのでいいんです。

ただ、この卒業研究が楽しすぎたのが後々まずいことになります。在学中に就職活動をするのをすっかり忘れていたのです。気付いたときにはもう手遅れで、卒業後に就職活動することになりました。これが後に、とんでもない試練として降りかかります。

初めての就職先はブラック企業

「第二新卒」という言葉が生まれるより前の時代。卒業後に就職活動すると、もう新卒ではなく「中途」としての採用になる時代でした。

当然、業務経験なんてありませんから「未経験で中途」を募集している会社しか選択肢がなくなっていました。かなりマズい状況です。

そんな中、「宇宙科学研究所で研究」というキラキラ経緯に惹かれたのか「ぜひ来てほしい」という会社が現れ、そこしか受からなかったので嬉々として入社しました。

これが地獄の入口でした。「アットホームな会社です♪」のようなツラをした小さな会社でしたが大変なブラック企業で、月220時間を超える残業を3年近く経験しました。

中途入社なので研修の類は一切ありません。なので私は誰からも何かを教わった経験がないのです。それでも仕事は降ってきます。ソフトの請負会社だったので、客先の意向一つで仕様がポンポン変更になり期限は変わらずというデスマーチの日々。自分で何とかしないとどうにもならない環境。これが私を短期間で鍛え上げました。

結果、3年半ほどでC言語をマスターしました。マスターといっても人に文法を教えられる程度ですが。そしてこのタイミングで吐血したので犠牲も大きかったです。

「一人前」を自覚したのと健康を損なった関係で、転職を決意することになります。

転職と音響機器メーカーでの経験

当時は今ほど転職が盛んではなく、入社したらそのまま定年までいるのが常識だったので転職にはかなりの勇気が必要でしたが、C言語をマスターして人にも教えられるレベルというのは案外ウケがよく、何社かから内定をもらえました。

某有名音響機器メーカーに入社し、そこでソフトウェアチームのリーダーを任されました。ここで自分、他人のマネジメントを身に着けられたのは大きかったと思います。またハードウェア(主に電気回路)の担当者とはよくコミュニケーションを取り、CPUの選定基準や周辺回路の基本的な知識を学びました。

これにて一応「マネジメント経験あり」「ソフトとハード両方わかる」という看板を手に入れることができたのと、その会社の経営が大きく傾いたのを機に欲を出し、高給で有名なキーエンスに挑戦したのです。

キーエンスの選考プロセス

高給であるがゆえ、新卒でも中途でも大変多くの応募があるキーエンス。狭い門をくぐれるかどうかという大きな挑戦でした。

  1. 筆記試験(SPI試験、知識を問う独自の問題)
  2. 面接。よくある志望動機や、職務経歴の説明など
  3. 面接。どんな仕事をやってみたいか、その理由、挑戦したいことはあるか、など
  4. 社長面接。キーエンスについてどう考えているか、どういう貢献ができそうか、など
  5. 最終面接。事実上は内々定の状況。希望勤務地や待遇について確認

というステップがありました。(2と3は一緒だったかもしれません。曖昧で申し訳ありません)

いずれにせよ、問われていたのは「何をしてきたのか」だけでなく、「どういう困難を、どうやって乗り越えたか」や「責任感があるか」「向上心があるか」など、壁にぶつかったときのメンタルを問われたと思います。また、いろいろなものに興味を持てるか、それを我が物にするモチベーションがあるかも見られたように思います。

こんな人が採用される(された)

中途については上述のとおり、次のような人物像が求められていたと思っています。

  • 責任感があること。任されたことを自力で工夫して、決まった期限にやろうと努力すること
  • 向上心があること。ソフト技術者だからソフトだけ、ではなく幅広い分野に自ら入り、自分のものにしようとすること
  • 逆境への耐性があること。責任感にも通じますが、何かあれば様々な道を模索して諦めずに挽回しようとすること
  • 協調性があること。これはコミュニケーション能力としてほとんどの企業で重視されるでしょう
  • 年齢なりの経験があること。30歳を超えると一気に厳しくなる印象です。人を率いられるくらい経歴欲しいです

学歴は重視していない、という旨を選考時に言われた記憶がありますが、絶対書類審査でフィルタリングはしていると思っています(笑)

そして新卒についてですが、私の周囲にいた新卒を見た感じですと

  • 超がつく学歴か、人と一味違った経験の持ち主であること
  • 責任感、向上心、逆境への耐性、協調性については中途と同様

東大、京大、それらの院卒はゴロゴロいました。一方、中堅クラスの大学でも「鳥人間コンテスト出場経験あり」のような特技的経験をした人もいました。新卒も狭い門を争うわけですが、一味違った経歴を持つ方は書類でのアピールが肝になると思います。

まとめ

キーエンスでは、任された業務に関しては自己完結でき、他人と協力して自分の成果物の信頼性を上げることができ、他部署を巻き込んでプロジェクトを推進できる、といった人物像を理想としていると思っています。

自分が最も得意とする分野については当然、胸を張って威張れるくらいが丁度よいでしょう。そして他の分野も人に投げるのではなく、自分でも口出しできるくらいの知識を身に着けないと上位の職級には行けないです。

東大などのいわゆる一流大を出た人にも「ポンコツ」のレッテルが貼られた例を何人も見てきました。なので何を学んだかというより、何をどうしてきたのかが重要です。

給料をもらう以上、「プロである」という自覚を持ち、現状に満足せず常に上を向いている人であれば人物的には問題ないと思います。

またいずれ、私がキーエンスを去らねばならなくなった経緯についても説明したいと思います。(需要があるかはわかりませんが)

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